やっていないことは絶対に認めてはいけない「でっちあげ」を読んで決意する

f:id:m-descartes:20190223165616j:image

ちょっとやりきれない本を読んだ。現実にこんなことがあるなんて信じられない話だ。

でっちあげ (新潮文庫)

でっちあげ (新潮文庫)

 

 内容は簡単にいうと、子供にひどい体罰をしたというモンスターペアレントの嘘で固められたクレームにより、善良で子供思いの教師が追いつめられる話だ。最終的にはマスコミが嗅ぎつける騒ぎとなり、社会的にも制裁を受ける羽目になる。学校の校長や同僚、弁護士などもふくめ誰も味方がいないなか、教師一人が追い詰められていく様を読んでいくうちに、本当に気分が悪くなる。

しかし、この本の著者による徹底した調査を描いた内容を読めば、この教師が無実だとわかる。また、それほどひどい虐待をしたにもかかわらず、目に見える証拠がないというのも本当に不思議だ。そして、体罰をしたという証拠として挙げられているのが、被害者の証言とその取り巻きである人権派弁護士と子供を診察したという医者の供述だけなのである。

やっていないことを絶対に認めてはいけない

これを読んで気分は悪くなったが、読んでいくうちにある思いが強まった。それは「やっていないこと」に対してはあいまいにせず、絶対にやっていないことをはっきりと表明することだ。実は先生がここまで追い詰められたのには、先生にも問題があった。それは、追いつめられてのことではあるけれど、体罰をしてしまったかもしれないと一部認めてしまったのだ。だから、この先生は校長をはじめ、親から徹底的に追い込まれることになった。

もし、先生が徹底して体罰はしていないと表明していれば、ここまでのことはならなかったのではないかと思う。しかし、まさか味方だと思っていた校長や教頭が、世間体を守ろうとするあまり、さっさと体罰をしたと認めろと追い込むようなことをするとは思わなかったのだろう。少しばかり先生は身内を信じて甘えたのかもしれない。ぽろっと、してもいない体罰をしたと言ってしまったのだから…。

まあ、自分もそういう状況になれば、強制的な自白という感じで言ったかもしれない。でもやはり、やっていないことは絶対に認めてはいけないのだ。周りからどう思われようと、どういわれようと、やっていないことに対しては絶対に認めてはいけない。なぜならこの本を読んでわかるように、だれも味方をしてくれないからだ。

浮気も疑われたら徹底的に否定する

余談なのだけれど誰かが、「浮気を疑われたら、それもほとんどグレー近くまで疑われたら、徹底的に全面的に否定しろ」と言っていた。なぜなら少しでも認めると、その認めたことから徹底的に追い込まれることになるという。ボロが出るというやつである。ましてや、体罰をしていない先生と違って、本当に浮気をしていたとしたらウソなど隠しおおせるものではない。最初から全面否定!がコツだそうである。しらないけど。

というわけで、ひさびさに一気読みさせてくれたノンフィクションだった。こんなモンスターペアレントがいることや、あることないことでっちあげる弁護士や医者、体裁のみ気にして先生を突き放す校長など、びっくりするようなことオンパレードである。まあ、腹は立つし気分は悪くなるけれど、こういう「世間」もあるという勉強ができると思えば、読んでいてタメになる本である。