恥ずかしがり屋を克服し、人付きあいをよくする考え方

大学生のころ、ずいぶんとアパートに引きこもっていた。理由は単純で恥ずかしがり屋が過ぎて、人づきあいができなかったのだ。人と会うのが怖かったのである。しかし、あるときこれではダメだということでどうすれば恥ずかしがり屋を克服し、外に出て人付き合いができるようになるか、ひとり暗い部屋で考えに考えた。そして答えを見つけた。

それは驚愕の事実だったけれど、腑に落ちてからというもの、なんとか人前に出て人と付きあうことができ友人も彼女もできた。もし、現在、恥ずかしがり屋で人付き合いを苦手としている方がいたら、参考にしてほしい。

恥ずかしがり屋は人一倍プライドが高い

じつは恥ずかしがり屋は人一倍プライドが高い。プライドが高いから、どのように人に見られているかがすごく気になる。また、見られていることを過剰に気にしてしまい、人前で何かしらの失敗をすることを恐れるあまり、人づきあいもできなくなるのだ。

わたしがそうだった。なぜ人前に出るのが恥ずかしいのか?なんせ人の目が気になって気になってしょうがない。どう見られているんだろう、あ!あの人こっちを見た、なんか悪口言ってないか?などなど、妄想ともいえるくらい他人が気になるのである。

なぜにそこまで人のことが気になるのかを考え、心の奥底にあったものを見つめなおしたとき、なんと超肥大化した私のプライドがいたのだった。プライドを傷つけられたくないその一心で、人前に出るのが嫌だったし、人と付き合うこともできなかったのだ。

恥ずかしがり屋とは性格ではなく、自分のプライドを守るための方便だったと気づいた。そう気づいたとき、もっと深く考えた。じっさいそれって単なる自意識過剰なのではないかと。

自意識過剰を捨て去れ!誰もお前なんかに興味はない!

では実際に世間のみんなが私のことをそれほど見ているのか?そういう風に私も世間のある特定の人間を見ているのか?そう考えると、わたしは自分のことばかり考えて、ある特定の人間のことなど意識をしたこともなかった。たとえば、ゼミなどの発表会でしどろもどろの恥ずかしい発表をした学生を見たとき、たしかにその時はおかしな奴だと思ったけれど、その一瞬だけでそのあと、そいつに対する意識はすべて忘れてしまった。そういうことは多々ある。

そうなのだ。みんな自分のことしか意識していないし、人のことなど意識している暇はないのだ。誰も自分のことなど見ていないし、話すら聞いていない。なので、みんなが自分を見ていると思うことこそ自意識過剰の何物でもない。バカすぎである。

そう理解するとなんだか、誰からも意識されていないのに、くだらないプライドを守るためにわざわざ人付き合いをしないなんてバカバカしくなってきた。たとえ何か恥ずかしい失敗をしようとも、一瞬は馬鹿にされるかもしれないが、永遠に馬鹿にされ続けるわけではない。それどころか、人は自分のことしか考えていないのだ。そう思うと気が楽になった。

どんどん人と接することで恥ずかしがり屋は克服できる!

そういうふうに考え、ちょっとずつプライドや自意識過剰を捨て去っていき、人と接することを恐れなくなってきた。たしかにプライドが頭をもたげてきて、逃げようとしたことは何度もあるが、そのとき、「いやいや誰もお前なんて意識してないよ」と考えて踏ん張ってきた。

そして、自分から数多くの人と接することで、人並みに友人もでき彼女もできた。恥ずかしさというか自意識過剰というかそういう感情が弱まってきたのである。

今では年を取ったこともあるけれど、社員の前で屁をこいても気にしないくらいまで、自分のプライドを捨て去ることができた。

ということで、恥ずかしがり屋、世間に出て人付き合いを苦手としている方、参考にはならないかもしれないがもう一度自分の心の奥底を観察することで、くだらないプライドや自意識を見つけ、さっさと捨て去ってはどうだろうか?いつまでも自分の殻に閉じこもっていても何もならない。世間に出て多くの人と接することが、大事だと思う。偉そうだけど…。