平野啓一郎の「ある男」を読む。あいかわらず平野節は健在です!

平野啓一郎が書いた「ある男」という小説を読んだ。行きつけの本屋に行くと『おれも、「ある男」になりたい!』とわけのわからないPOPが書かれた棚に「ある男」が山積みされていたので思わず買ってしまった。

平野啓一郎は大学在学中に芥川賞をとったことで有名な人だ。たしか「日蝕」という題名の本だったと思う。当時大学生であった私はその本を立ち読みしたけれど、のっけから難しく、というより感覚的に合わなくて買うのを断念した覚えがある。それ以降、平野啓一郎の書いた本は読んだことがない。

しかし、十数年後にたまたま平野啓一郎が書いた「決壊」を読んだとき、ああ、この人はこんな社会派ミステリーっぽい本もかけるんだと感心したことがある。純文学一辺倒かと思っていたが、なかなかどうしてよく書かれた小説だった。内容は忘れたけど。ただ、ところどころにちりばめられているキザな哲学的文言には辟易した覚えがある。

そういう記憶があったからか「ある男」もあらすじを見るとなんとなくミステリーぽかったので買った次第である。「ある男」は、著者があるバーで知り合った弁護士の語りから始まる。その弁護士は以前依頼を受け仕事を請け負ったことのある女性から再度相談を受ける。女性の旦那が職場の事故で亡くなったので、旦那の親類に報告し確認してもらうと実は親類が全然知らない「別人」だったのだ。では一体その男は誰なのか、その弁護士が探索していくミステリー仕立てだ。

ものすごくびっくりするようなところはなかったけれども、ストーリとしてはまずまず面白かった。ただやはりところどころに平野節が出ており、ちょっと引いてはしまった。人ってここまで内省的に自分を見つめて考えてるのかな、と疑問に思ってしまうのだ。まあ、そういう純文学っぽい文言を除けば、買って損はない小説だと思います。